釜浅ジャーナル
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つくる人のはなし #03 照姫【釜浅の炭火焼き台】

つくる人のはなし #03 照姫【釜浅の炭火焼き台】
長年釜浅商店が数多のレストランにお届けしてきたプロ用の炭火焼台の品質はそのままに、場所を選ばず誰もが気軽に使えるようにと開発したのが、オリジナルの「釜浅の炭火焼き台」。2021年の発売以来、多くの方の庭先やテラスで愛されてきたこの焼き台を製造しているのが、炭火焼き台だけでなく鉄板焼き台や卓上調理器具など、多彩な厨房機器を製造する「照姫」(てるひめ)です。今回は料理道具売場マネージャーの河野雄太が、茨城県取手市にある照姫の工場へ。迎えてくれたのは、代表取締役社長の植 識弘(うえ のりひろ)さんと専務取締役の植 大(ひろし)さん。インタビューには大さんが答えてくださいました。
釜浅の炭火焼き台の詳細はこちら
釜浅商店 河野 雄太
KAMA-ASA STAFF 河野 雄太 / Yuta Kawano
TOPICS

つくる人照 姫

照姫 植 識弘さんと専務取締役の植 大さん
取締役会長である植 勝二さんの父、義徳さんが、台東区竜泉で燗銅壺を作るために1930年に創業。代表取締役社長の植 識弘さん(右)と専務取締役の植 大さん(左)は従兄弟同士で、識弘さんは取手市の工場、大さんは東京都北区の本社で、役割を分担をしながら支え合っている。ちなみに会社名が「植製作所」から現在の「照姫」になったのは40年ほど前のこと。お世話になっていた女性の神主さんにお願いして命名してもらったそう。
www.teruhime.co.jp/

TOPICS 01プロ用の炭火焼台を家庭でも使いやすいようにアレンジ

遠赤外線の効果で食べ物に美味しく火が通る炭火焼きは、日本料理に欠かせない調理法のひとつとして愛されてきました。ただ、各家庭に囲炉裏や火鉢があったのは昔の話。特に戦後はガスや電気による調理器具の進化により、炭火で火を通す料理は外食で楽しむものへと変化していきました。

それでも、外はパリッと、中はふんわりと仕上がった焼き鳥や、脂がいい具合に落ちた牛肉、皮目をパリッと焼いた焼き魚の美味しさを自宅で気軽に楽しむことができれば、暮らしの楽しみは大いに増すはず。コロナ禍を経て釜浅商店が辿り着いた「Slow BBQ」という考え方を形にした「釜浅の炭火焼き台」は、以前からプロ用の焼き台を中心に長年取り扱いをさせていただいていた照姫との緊密なやりとりから生まれました。

炭火で焼けば、外パリ、中ふわのプロ級の焼き鳥を家庭でも楽しむことができる。

実は、「炭火焼 ゆうじ」と釜浅とのコラボレーションによるオリジナル炭火焼ロースター「YK-T」も、製造は照姫にお願いしたものでした。

「炭火焼ゆうじ」で実際に使用されている炭火焼ロースターYK-T

「炭火焼ゆうじ」で実際に使われている、オリジナルプレート付きの「YK-T」。詳しくは使う人のはなし #02【炭火焼 ゆうじ】でお読みいただけます。

 

河野
「YK-T」が出たのが2011年です。その後、都内の飲食店の方たちから「照姫さんの定番よりも少し小さいサイズの焼き台が欲しい」というリクエストが多く寄せられたことから、幅45cm×奥行き24cm×高さ16.5cmというサイズの焼き台を作っていただいたんですよね。これは一般のお客様の需要も多かったのですが、家庭で使うにはやっぱりちょっと大きく、「もう少し小さいのはないの?」というご意見も多くいただいたんです。それで、一般のお客様向けに幅34cm×奥行き21cm×高さ17.5cmのものをつくろう、ということになりました。これが「釜浅の炭火焼き台」です。ところが、これが意外に飲食店の方の引き合いも多くて。元々やっているお店で炭火焼をやりたいけれどスペースがないとか、焼いたお肉に香りをつけるための焼き台が欲しいなどという人のニーズにマッチしたみたいです。

大さん
最初の年から、年間500台近くが出たんだよね。私としてはそんなに出るものとは考えてなかったから、びっくりしました。予想外のヒットだね。

早速、そんな「釜浅の炭火焼き台」の製造工程を見せていただきました。

工場内で識弘さんと大さんから説明を受ける釜浅商店 河野

工場内で識弘さんと大さんから説明を受ける河野。

 

TOPICS 02美しく整頓された工場で行う、無駄のないものづくり

工場に足を踏み入れると、材料や道具のすべてが美しく整理整頓されていることにまず気付きます。「なかなかみんなが思うように使ってくれないので、綺麗に保たなくちゃ!というのは常に思っています」と識弘さん。工場では識弘さん夫妻も合わせて12〜3人が働いています。

ステンレス板を切断器でカットする様子

ベンダーでステンレス板を曲げているところ。あっという間にパーツごとの形に曲げられていく。

1m×2mの規格サイズのステンレスの板は、つくるもののサイズに合わせ、シャーリング切断機でカット。なんとこの時、板には5トンもの力がかかるそうです。パーツごとにカットした後は、ベンダーと呼ばれる、板を折る機械で必要な箇所を曲げていきます。ステンレスに傷がつかないように、マットを敷いて保護してから板を入れるのがコツ。また、スライド式の風窓を取り付けたり、把手をつけたりといった工程をスポット溶接(注:電極で金属を挟んで短時間電流を流し、接触面に発生する抵抗熱で金属を溶かし接合を行う方法)で行います。パーツごとの作業が終わったら、やはりスポット溶接で本体の組み立てを行います。溶接する位置は印をつけているわけではないのに、ピシッと揃うのにびっくり。

必要な箇所を曲げたパーツを並べたところ。ここからスポット溶接作業が始まる。

スポット溶接はリズミカルに。ガイドがなくともほぼ等間隔に溶接されていく。溶接コーナー担当の方はまだ入社3年目だそう!

本体が概ね組み立て終わったら、内側に抗火石を取り付けます。石を支える部品は石を押さえながらスポット溶接で取り付け。これが終わったら、ロストルを置く土台の金具を取り付けたり、底板を取り付けたり、断熱材を入れたり。その後、抗火石の隙間をセメントで埋めて完成です。

板のパーツを組み立て抗火石を取り付けたところ

抗火石を取り付けたところ。

抗火石の隙間はへらをつかってセメントで埋めていく。この作業は識弘さんが担当。

 

TOPICS 03燗銅壺作りから始まった調理器具の歴史

さて、今ではさまざまなステンレス製焼台や、お好み焼・鉄板焼用のプレートを備えた座卓やテーブルなどの厨房機器のメーカーとして、飲食業界ではおなじみの照姫ですが、識弘さんと大さんのお祖父様が1930年(昭和5年)に台東区竜泉で開業した際に作っていたのは、炭火の熱で湯を沸かし燗酒を作るための道具、燗銅壺でした。


大さん
最初は火鉢に落として水を貯めておくタイプの燗銅壺を手で作っていたみたいです。その後、合羽橋のある会社から「雪平鍋をアルミで作れないか?」という依頼があって、そこから鍋を作り始めたようですね。当時、雪平鍋は瀬戸物だったんですよ。煙突タイプのしゃぶしゃぶ鍋は長く作っていました。

照姫 工場外観

本社から工場までは車で1時間程度と便利。本社には大さんと奥様が2人で勤務、大さんは2〜3ヵ月に1回、工場に顔を出すそう。

その後、製造拠点は北区の豊島と、今の本社がある堀船の2ヵ所に。現在の茨城県取手市に工場を移転したのは60年ほど前のことだそうです。

大さん
祖父と現社長の父(会長の勝二さん)がこっちに来て工場を立ち上げたんです。東京まで国道一本で行ける便利さもあり、常磐線もあるので、そういうので場所は決めたんじゃないかな。製造は100%こちらでやることにしました。硬い金属などをカットできる機械を使うステンレス加工はこっちに来てからスタートさせたようです。私が入社したのは2000年ですが、その頃はまだ雪平鍋やおでん鍋、やかんなどもつくっていました。

照姫 工場外観

店舗用の大きな「耐火レンガ炭火焼台」を組んでいるところ。

 

TOPICS 04積み上げた信頼関係で、使い手の希望に応える製品を実現

釜浅との関係は、大さんの入社より前から長く続いていたといいます。

河野
うちの熊澤(4代目店主の熊澤大介)と大さんが入ったのが同じ頃で、お取引自体はその前からさせていただいたと聞いています。

大さん
そうなんです。私の入社した頃には釜浅さんとのお取引では炭関係のものが多くなっていました。そういえば、「耐火レンガ炭火焼台」は(釜浅の)会長のアイデアじゃなかったかな?

釜浅商店 河野と照姫 植大さん

「入社1年目から大さんには本当にいろいろご相談させていただいてきました」という河野。

河野
そうみたいですね。当初は照姫さんに外側だけ作っていただいて、うちの工場で組んでいたという話は聞きました。ちょうどうちの社長が社長になった時期(2004年)と大さんが専務になられた時期が近くて、「こんなのできませんか?」とか相談していた、と。「釜浅の炭火焼き台」でも採用している抗火石(注:新島や式根島、神津島で採取される多孔質の軽石)のコンロは、以前から照姫さんにあったんですよね?

大さん
そうです。そのあたりから、何かあるとご相談いただいたりするようになりましたね。ラーメン屋さんのかまどなんかもありました。

河野
大さんはほんとに頼りになるので、「YK-T」をつくった時もそうでしたけど、普段からいろいろなことを相談してしまうんですよね。僕らはお客様の要望を聞いて、ここをこうしてほしいというのを相談するんですが、本当にじっくり話を聞いてくださるんです。

釜浅商店 河野と照姫 植大さん

「釜浅さんとのコラボレーションもそうですが、お好み焼きや鉄板焼き用のテーブルなども、“こういうのを作って”というお客さんのご相談から生まれたもの。うちで発案して作り始めたわけではないんです」と大さん。

大さん
河野さんも頼もしくなりましたよね! ものづくりの大抵のことはわかっているので、こっちが曖昧な返事をしても理解してくれるんです。相談してもらえるっていうことは、うちとしてもありがたいことなんですよね。納期のことばっかり聞かれたら嫌だけど(笑)。

河野
僕が心がけているのは、お客様と直接やりとりする立場だからこそ聞けることを、つくり手の方たちにうまく伝えること。納期のことばかり話していたら、信頼を勝ち取るのは難しいですからね(笑)。

組み上がった釜浅の炭火焼き台たち

組み上がった焼き台たち。

河野
大さんが今後挑戦したいと思っていることはありますか?

大さん
実は今度、新しい溶接機械が入るんですよ。溶接では金属を溶かすので、どうしても変形してしまうことがある。新しい機械を使うと余計な部分に熱がかかりにくくなるので、もう1ランク上のものができるのではないかなと思っています。

河野
そうなんですか! それは楽しみです!

お二人と笑顔で記念撮影。「釜浅さんからのリクエストは素直に聞くね、とよく言われるんです」と大さん。

 

 

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釜浅商店 河野雄太
KAMA-ASA STAFF 河野 雄太 / Yuta Kawano
飲食店での勤務を経て2012年7月釜浅商店入社。
料理道具売場で10年以上の経験をもとに、現在は商品部として魅力的な商品の仕入れ・開発に携わる。
趣味は野球観戦/好きな料理は炊き込みご飯となめこの味噌汁

 

執筆・編集:山下紫陽 撮影:釜浅商店